『ホーム(INDEX)』に戻る | 『オセアニア』に戻る | 『プロフィール』に戻る |
◇以下の文章は、私の故郷である北海道網走郡美幌町と、ニュージーランド国:ワイパ地区・ケンブリッジ地域との姉妹都市提携に関するプロセスを書き述べたものです。そして、最後の部分に、私がケンブリッジ地域評議会で行ったスピーチ原稿、姉妹都市提携決議の翻訳、美幌町長への文書の翻訳、さらには、そのことを美幌町民へ伝えるために書いた経過報告(地元新聞に掲載)を掲載しました。姉妹都市提携に関しては、数多くの人たちの助力によって実現できたことを感謝しています。なお、掲載に際してはプライバシー保護の観点から、必要な修正を加えてあります。 |
![]() |
![]() |
![]() |
町民歓迎夕食会(美幌にて) | 友人のマーレィと、ジョン(ワイパ地区・首長) | 姉妹都市調印式(北海道網走郡美幌町にて) |
『夢を現実に −姉妹都市提携への道程−』 |
(『北海道ソーシャルワーカー協会:機関誌』1997年5月刊行:掲載) |
◇今年の1月下旬に、ニュージーランドの北島にあるケンブリッジに於いて、美幌町長・町議会議長らの臨席のもと、私の故郷(ふるさと)である、網走郡美幌町とケンブリッジとの間で、友好姉妹都市の仮調印式が行なわれました。ちなみに本調印式は、美幌町開基110周年のイベントとして、今年の10月に美幌で行なわれることになっています。ケンブリッジが美幌との姉妹都市提携を議決してより4年半になります。私にとっては長い道程(みちのり)でした。 |
『ケンブリッジ便り』 |
(『地元新聞紙』1994年07月:掲載) |
◇真冬(と言っても、それほど寒くはないのですが)のケンブリッジから、暑中お見舞いを申し上げます。 |
『さらに大きな夢を』 |
(『地元新聞紙』1997年10月:掲載) |
◇今、私の手元には、この5年間あまりにわたってケンブリッジや美幌の関係者たちとの間でやりとりを行なった、膨大な量のフロッピーディスク10枚が残されています。 |
『ケンブリッジ通信』 |
(『地元新聞紙』1999年10月:掲載) |
◇今年もまた早春のニュージーランドへ出掛けてきました。今回は3週間ほどでしたが、ニュージーランド各地を精力的に動き回り、充実した調査活動ができました。 |
美幌の姉妹都市として「ケンブリッジ」を推挙する理由 |
1993年3月10日(水)に、ファクシミリで地元新聞紙へ送付。その後、同紙に掲載。 |
@美幌と比較して、ケンブリッジが適性規模の町であること(人口約1万1千人)。 |
The Reason I recommend BIHORO as a Sister-City of CAMBRIDGE |
(1) Bihoro is a good-sized scale town for
Cambridge with a population of approximately
25,500. |
1993年4月8日(木曜日) 美幌新聞社 ○○○○ 殿 このファクシミリは、美幌町役場(○○氏)&国際交流推進委員会(○○氏)&美幌新聞社(○○氏)各氏に対して、同じ文面をもってお送りいたします。 さて、昨夜の議会に於いて、ケンブリッジ地域評議委員会が、美幌との姉妹都市提携を承認する議決をいたしました。そのことを感動をもって報告させていただきます。これで長年、姉妹都市提携を模索してきた美幌町にとって、姉妹都市関係を提携すべき世界中の国々のなかでベストに近い国であるニュージーランドの、さらにその中でもベストに近い町であるケンブリッジと姉妹都市関係が提携できることになりました。以下、決定事項の翻訳文を記します(原文は同時にお送りします)。 |
議題:日本の姉妹都市提案−北海道・美幌 1993年4月7日 発:ケンブリッジ地域評議会・会議 〈決議事項〉 『アレン議長によって提案され、ロダー議員によって(その提案が)支持された。』 『(そのことに関し)、ケンブリッジ地域評議会は、満場一致をもって、日本国 北海道美幌町と姉妹都市関係を結ぶことを決定する。』 〈通過した〉 ケンブリッジ・マネージャー(責任者) M・W.マックスウェル セクレタリー(書記官) ゲイル・トゥロートン |
◇ここで会議の様子を若干説明させていただきます。昨夜、7時過ぎから始まった地域評議会(以下、議会と略称)で、最初の議題に美幌との姉妹都市提携が提出されました(5〜6名の傍聴人がいました)。私が各評議委員に配布したのは、送っていただいた美幌のパンフレット(先に何人かに渡してあったパンフレットも、既に当日までに各評議委員が閲覧していたようでした)、そして日本古来のハンカチ、および手作りによる人形、そして本日、お送りしたスピーチ用の英文原稿(美幌向けに作成した「ケンブリッジを推挙する理由」の日本文も含む)でした。 |
01−80−03 1993年5月27日 日本国北海道美幌町 美幌町長 ○○○○ 殿 親愛なる ○○氏へ 美幌−ケンブリッジ−姉妹都市関係 日本国・美幌町が私たちの姉妹都市になって下さるよう要請できることは、ニュージーランド国・ケンブリッジ町を代表しての私の喜びとするところです。 ケンブリッジは、あなたが確かにお聞きのように、国道1号線沿いに位置するところの非常に美しい町であるとともに、また非常に広大な農業地域の中心地です。農場は、主として乳牛、食用牛、羊、それに小量の園芸および果樹園をともなった馬飼育場です。 ケンブリッジは非常に大きな古い木々によって注目されており、また「木々の街」としての評判(名声)を受けるに値する町です。 (ケンブリッジの)人口は10、539人で、(その中には)5千人の農業従事者たちがいます。ケンブリッジは総人口37、016人を擁するところのワイパ地区と称される広域地区の一部にあり、そして私はこの全ての地区(ワイパ地区)の首長です。 私はケンブリッジに関して新しく作成された資料をお送り(同封)します。その資料は、貴殿にこれらに関するあらゆる有益な情報をお伝えできることでしょう。 私は準備が整われ次第(ただちに)、貴殿および町役場の職員たち、それに児童生徒たちにお目にかかれることを楽しみにしております。○○氏はこの姉妹都市接触の話をもたらせ、その実現のために非常に熱心に働いてこられました。彼は生れ故郷である美幌を非常に愛しておられ、私たちが姉妹都市として非常に円滑に協力し合ってゆけるであろうことを確信しておられます。そしてケンブリッジの人々は、彼に対し、いつも感謝をすることでしょう。 私はケンブリッジ地域評議会が、既に「我々は日本国・北海道美幌町と姉妹都市を結ぶべきである。」と決議したのと同様の、貴殿からのご返答(もしくは、「同様の議決書の返答を貴殿よりいただけること」)を楽しみにお待ち申し上げております。 敬 具 ニュージーランド国 ワイパ地区評議会 首長 ブルース・バークェスト |
『ケンブリッジとのこと(上)』 ◇本紙をお読みの皆様は、今回の突然のケンブリッジ町との姉妹都市提携の記事にさぞかし驚かれたことと思われます。静かな暮らしを満喫されておられる町民の皆様や関係者の人たちを驚かせるような結果となってしまった責任を強く感じています。そこで本紙の特別のご配慮により、この間の事情を報告させていただく機会を得ましたので、これまでの経過を簡単に報告するとともに、このことが今後、良き方向性をもって進められてゆくためのご助力をいただきたく、この原稿を書かせていただいた次第です。 ◇さて、本紙の私の連載を注意深くお読みの方は、私がニュージーランド(以下「NZ」と略称します)と深い交流をすべきである、と繰り返し述べてきたことをご理解いただけるかと存じます。そのことを最初に述べたのが、昨年の10月20日発行の文章でした。そして11月3日には、間接的ながらケンブリッジをイメージした姉妹都市提携の文章を書きました。私のなかには「これまで美幌は長い間、海外との姉妹都市提携を具体的に願ってきたのだから、キット何らかの反応がある筈だ....」との期待がありました。しかも「既に何度も訪問団を派遣して姉妹都市提携の申し込みを公的に行なってきたのだから、当然、町としての姉妹都市提携に関する基本理念や具体的な取り組み方についても組織決定がなされている筈であり、特にその場所以外には提携を考えない、といった特別な理由がないのであれば、提携先の国としてベストに近いNZは問題ないであろう....」との読みがありました。しかし具体的にはどこからも反応がなく、年を越しました。 ◇その間、私はNZ各地を旅行しながら、美幌にとって姉妹都市として最もふさわしい町を探してきました。その結果、最初から「これはステキな街だ!」と思ってきたケンブリッジ町がやはり最適である、との結論に至りました。そうした矢先、本紙の新年特集号で国際交流推進委員会の杉原会長のインタビュー記事が掲載され、美幌の交流先にNZも候補として挙がっていることを知りました。そこで私はいよいよケンブリッジにアタックをしてみようと決心しました。 ◇しかしそうは決めてはみたものの、公務員時代を含めてこれまで20年以上も組織人の一人として歩んできた私としては、当然、まず最初に行政側の意向を確かめるのが常道であると考えました。しかし昨年に引き続き、今年の1月にもスコットランドに公式訪問団を派遣して姉妹都市提携の申し込みを行なった、といった経緯を考えたとき、町側から「ケンブリッジと交渉しても良い」との確認を得るには、少なくとも私のNZ滞在中は無理であろう、と判断しました。そこで私が帰国するまでに、何らかの道筋がつけられるだけでも良い、と考えました。むろん、次回に述べてゆくように、まさかこれほどまでスピーディにケンブリッジ側が決断を下すなどとは、本当に夢にも思ってはいませんでした。 ◇しかし決断と同時に、これから自分がしようとしていることを考えたとき、ためらいの気持ちが起こりました。最大の理由は、毎年1ヵ月程度は美幌に帰郷してきた自分ではあっても、美幌町民ではない自分が、だれからも依頼されたわけでもなく、したがって何らの公的・私的権限も有さないままで、こうした公共性の強い事業に勝手に着手しても良いのだろうか、との懸念でした。さらには私自身の中にも、限られた滞在期間で行なうべき研究課題が山積しているのだから、他のことにエネルギーをとられたくない、との人間的な想いもありました。そのため、連絡先の電話番号のメモを見ながら逡巡(しゅんじゅん)の日々が三週間続きました。しかし私には「美幌の良さをキチンと相手に伝えるならば、必ずや世界中の都市が、われ先にと美幌との姉妹都市提携を願うはずだ!」との燃えるような確信がありました。「もしも成功すれば、この国との深い交流は、美幌の将来にとって計り知れないほどの町益があるのだから、たとえ失敗したとしても試みてみるべき価値がある。」研究者の一人としてそう決断し、実行に移すことにしました。 ◇二月の初旬に、ケンブリッジの国際交流団体の代表者であるナンシー・デーヴィスさんと話し合いの時を持ちました(そのとき初めて本紙へ、ケンブリッジと接触する、との簡単な連絡をしました)。彼女は目を輝かせながら「それはいいプランだ!」と私に語りました。しかし「自分は近いうちに休暇でロンドンへ行き、帰国は5月の予定だ。でもこの話は町の担当者に話しておくから....」と私に告げました。私は「この話は5月までお預けか....」とガッカリし、それからしばらく時が過ぎました。しかし念のために美幌新聞社にお願いして、美幌に関するパンフレットを送ってもらい、備えることにしました。 |
『ケンブリッジとのこと(中)』 ◇三月初旬のことでした。ナンシーさんからの連絡もなく、しかたなくケンブリッジの町役場(タウンセンター)へケンブリッジに関する資料をもらいに行きました。すると「あなたが美幌との話を持ってきたプロフェッサー八巻か?」と聞かれました。それが担当者のゲイル・トゥロートンさんでした。そこで町役場の幹部を含めてしばらくの間、話し合いの時を持つことができました。皆「いいことだ、是非やろう!」と口々に言うのです。そこで、本紙でも紹介された『美幌の姉妹都市としてケンブリッジを推挙する理由』をまとめ、関係者に配布してもらいたい旨を記して大庭氏(美幌新聞社)に送りました。 ◇それから数日後、ゲイルさんが「今度私たちの教会でケンブリッジの社会福祉についてゲストを迎えて話をしてもらうので出席しないか?」と私を誘うのです。何とそのゲストがパット・アレンさん(地域評議会議長)でした。そこで集会のあと挨拶をすると、彼女(アレン)は「美幌のことは聞いている。いいことだと思うので、来月の議会にあなたを招いてスピーチをしてもらおうと思っている。」と、いとも簡単に私に告げるのです。「ノープロブレム(大丈夫、問題はないよ)!」が日常語でもあるこの国の柔軟さについては、それなりに把握していたつもりでしたが、私の予想をはるかに越えるスピーディさにビックリしてしまいました。後で分かったことですが、全てゲイルさんの配慮でした。ちなみに、そのとき既に、彼女(ゲイルさん)のオフィスには『美幌との姉妹都市提携に関する調査書』と書かれたファイルブックが置かれてありました。私は心を打たれました。そして「ケンブリッジの関係者たちは本気だ....」そのとき、私はハッキリとそう思ったのでした。 ◇さて、それからが慌ただしい毎日となりました。このとき、ようやく国際交流推進委員会の○○会長に連絡をすることができました。しかし情けないことに、名前を知っていても連絡先が分かりません。そこで昨年の本紙の縮刷版に「○○写真館」の公告が載っている記事を見つけ、名前が一致しているので多分この人だろう、と手紙を出しました。そんな程度でしたから、役場の担当課長さんにはさらに連絡が遅れる結果となり、申し訳のないかぎりでした。ましてや議会関係者には、○○氏を通して「推挙理由」の文書のみを配布しただけで、進行状況については連絡すらもできませんでした。ですから、本紙の記事を読まれて驚かれた町関係者や議員の方々も数多くおられたことと思われます。海外にいたとはいえ、これら全ては私の不手際です。幾重にもお詫びをいたします。 ◇しかしそうした私の不手際さにもかかわらず、○○氏は直ちにファクシミリと電話とで「このプランに側面援助をしたい」との連絡を下さいました。「事前に必要な連絡もせずに、お前が勝手に進めたことに協力する責務はない」と、たとえ言われたとしても、黙って引き下がるしかなかった私の立場でした。先程のゲイルさんも、ケンブリッジを愛し、発展を願う気持ちのみで献身的に動いてくれました。同じく美幌にも「手続き論」を振りかざすことのない、○○氏や○○氏、そして役場の担当課長である○○氏など、真に美幌を愛し、発展を願う人たちがいてくれたことが幸いでした。 ◇実はこの件に関して、私には二つの点で不安がありました。それは私の連載を読んでくれている近隣市町村の関係者から「わがマチとの可能性を探ってほしい」との依頼が来ないだろうか、といった点でした。私の性格からすると、おそらくは「ノー」とは言えないであろうに違いなかったからでした。しかし、私はやはりわが愛する美幌のために働きたいと思いました。幸い、そうした依頼はありませんでした(よく考えてみれば、私の文章など、それほどの影響力があろう筈がありません)。もう一点は、ケンブリッジがあまりにもステキな街なので、日本のどこかの市町村が先に姉妹都市提携のアタックをしないだろうか、との不安でした。事実これに関しては、議会に呼ばれた際に、最近そうした議員団による訪問があったことを町長から告げられました。またある市からは、毎年高校生をケンブリッジに送ってきています。そのため、ケンブリッジ側が今回、何らの公的・私的交渉権もない私を議会に呼んでくれようとする絶好の機会を逃してはならないと思いました。「町外者で民間人の自分には何らの交渉権もない。しかし美幌の魅力を正確に、そして誠意をもって伝えれば必ず成功する!」そう私は思いました。その理由は「この国の人々に対するには、根回しや裏工作などといった姑息(こそく)な政治手法ではなく、誠意をもって、いかにして相手の信頼を得るかがポイントである」との確信をつかんでいたからでした。そして、そうした視点からスピーチ原稿をまとめる作業を開始したのでした。 |
『ケンブリッジとのこと(下)』 |
![]() |