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※以下の文章は、2001年8月13日〜9月8日までの間、ニュージーランド(北島)とオーストラリア(ブリスベン)を調査訪問した際に、『のんびりエッセイ』に書き込んだものを編集したものです。なお、今回の公開にあたっては、不必要な部分を削除したり、多少の修正を加えています。【1NZ$=50〜52円】 |
いくつかの文書は、ニュージーランドで作成することにしたため、昨夜は5時間ほどの睡眠をとることが出来ました。それでも、先日、乳ガンに罹った友人へ送るための文書の整理と印刷に励みました。先ほど、それを郵送して、まぁ、これで何とか旅立てそうな雰囲気です。あとはうまく現地からローミングサービスの接続ができると良いのだけれど・・ |
☆いよいよ本日から四週間あまりにわたる『オセアニア旅日記:パートU』連載の開始であります! |
☆今もローミングサービスの接続設定が不調のため、国際電話方式による接続をしています。そのため、あまりノンビリとはネットに接続できません。だって、日本へ国際電話をしているのと同じなのだから・・ 要するに、先日、九州にいたときと同じトラブルに見舞われているのです。数日前にプロバイダーに調べてもらったのですが「システム的には、特に問題はありませんが・・」とのことだったのに、ニュージーランドでもやはり同様の問題が生じてしまいました。自分としては、「このトラブルはISDNに切り替えてから始まったような気がするんだけれどなぁ・・」との疑いを持っているのですが・・ さて、どうやって解決すべきか? もっとも、しばらく滞在する予定のロトルアにインターネット・カフェがあれば、かなりの部分(つまりは、HP閲覧)は解決するのだけれど・・ メールの受信に関しては問題ないし、送信に関しては、あらかじめ文章を作成しておいて、それを「送信待ち」にして一斉送信すれば良いのだし・・ |
☆昨日泊まったモーテルがとても寒かったために、どうやら風邪を引いてしまったようです。ハックション! いちおう、暖房はあったのですが、広いスペースに小さな暖房器具一つだったので・・ あ、それからモーテルのベッドには電気シーツが必ず、と言って良いほどにあります。 |
☆朝に、9月にクライストチャーチ(CHC)にやって来るゼミ生からのメールによる照会事項に返事を送り、ひとやのモーテルを後にして本当に美しい海岸線をひらすらに走り続け、夕方にギズボーン(Gisborne)までやってきました。今日一日だけで400キロ近くを走破しました。山道半分の激しいアップダウンやカーブの連続の400キロでしたから、少し疲れました。午前10時から走り始めて、休憩を挟みつつ、ギズボーンに夕方の4時半頃に着きました。「早くモーテルを確保せねば・・」と焦りましたが、不思議なことに国道沿いには見あたりません。そこでガソリンスタンドで給油しながら聞きました(この国ではガソリンではなく「ペットロールスタンド」と言います。ちなみにリッターあたり52円ほどです)。モーテルはだいたいにおいて主要道路沿いに密集しているのですが、ここでは市内道路沿いにありました。最初に部屋を見たモーテルは最新設備で4,000円ほど。次には3,250円ほどのモーテルでした。当然、安い方に決めました。夜になると探すのが余計に難しいので、ホッとしました。各地のモーテルをみていると、だいたいにおいて、ボクより遅くやってきて、朝8時過ぎには出てゆきます。もちろん、モーテルですから車でやってきます。この国の人たちは朝が早いのです。朝の8時過ぎにはお店が開いていますから・・ その分だけ、金曜日の夜は夜更かしさんが多いみたいですが・・ |
☆やわらかな陽ざしが降り注ぐ冬晴れの中、ネーピア(Napier)を抜けてヘイスティングス(Hastings)までやって来ました。このルートは数年前に一度、通った筈なのに、あまり覚えていません。やはり今日もアップダウンの連続でした。途中で、何度か牛たちの移動のために一時停車でした。お牛サマの行列が優先でしたので・・ トータルで1,000キロの走行距離となりました。 |
☆タウポを抜けてツゥランギという保養地までやって来ました。走行距離は1,200qとなりました。今は冬の終わりの時期なので、ツゥランギもまさに閑散、といった雰囲気です。たいていは、ここからトンガリロ国立公園へと向かいます。この国立公園地帯はかなりの高地です。公園内のルアペフ山も雪に覆われています。数年前に火山が爆発して、スキー場が閉鎖されたこともありました。二年前にはウェリントンからニュープリマスを抜けて、この国立公園のルートを通ってツゥランギまでやって来たことがあります。その逆もあります。ハミルトンからウェリントンまで列車に乗ったときも、ここを通りました。「この汽車で果たして登り切れるかしらん?」と思ったほどです。だから、もう何度も行き来しました。今夜はこのツゥランギで、気のいい老夫婦が運営しているモーテルに泊まることにしました。3,000円です。1993年12月と1998年8月にも、このすぐそばのモーテルに泊まったことがあります。近くにはツゥランギ川が流れており、見に行くと、この寒いのに何人もの人たちが釣りをしていました。何と言っても、ここは釣りの宝庫なのです。 |
☆降雨の中、ツゥランギからタウポ湖の西岸側の山道を抜けてトコロアまで出ました。トコロアの「ウェハウス」というディスカウントストアで[ABBA(アバ)]のCDを2枚買いました。1,000円ほどで買えました。1ヶ月ほど前に、NHKの衛星放送でアバの特集を見て以来、はまってしまい、「よ〜し、ニュージーランドでアバのCDを買うぞ〜ッ!」と心に決めていたのです。要するに、一世を風靡したディスコ・サウンズです。今、これをパソコンで聴きながら、この文章を書き綴っています。軽快なリズムを聴くと、何だか元気が出てきました。以前も、ここでクリスマスソングのCDを何枚も買ったことがあります。建物全体が赤く塗られている「ウェハウス」はニュージーランド各地にあります。スタッフの服装も赤です。品質的にかなり怪しげな物もありますが、とにかく安いのです。大半は輸入品です。昼食にマックでコンボを食べました。セットで210円ほどでした。コーラとポテトに、何とチーズバーガーが2個ついていました。これが月曜日メニューだそうです。 |
☆昨日朝にメールを開くと、個人的に親しい関係にある、ボクのふるさと(網走郡美幌町)の町長からメールが入っていました。今度、町が関わる重症心身障害児施設への地域支援の在り方に関するアドバイスをボクに求めてきたのです。実は、数日前にも美幌の中高生たちが姉妹都市であるケンブリッジにホームステイで交流に来ていたのです。姉妹都市提携に至るまでには数多くの困難がありましたが、すでに軌道に乗った今では、ボクはもうあまり余計な関わりはしない方が良い、と心しているので、今回のニュージーランド訪問も美幌には知らせていなかったのです。自分が流した涙の数と量は、神様だけが知っておられるだけで充分、と考えるようにしていますので・・ それほど辛い経験をいっぱいしたのです。でも、当時、地元の新聞社の社長であった現・美幌町長がボクの無手勝流的なアタックを、その新聞紙上で全面的にサポートしてくれ、実際に仲間たちとケンブリッジも訪問してくれ、帰国後直ちに「美幌=ニュージーランド友好協会」を設立して姉妹都市交流への道を整えてくれたのです。混沌とした状態の中でのこうした友情は決して忘れるものではありません。ふるさと美幌は良き首長を有していると思います。さっそく昨夜、ボクの考えを返信しました。 |
☆朝9時に[IHC]のオフイスへ行き、あすのグループホーム訪問の時間を教えてもらい、その建物内にあるワークショップ(作業所)を見学しました。スタッフが丁寧に作業内容を教えてくれました。その後、ファカレワレワの近くにあるワイアリキイ・ポリテクニック(Waiariki Institute of Technology)へ行きました。機能制約状態を有する学生への支援スタッフに会うためです。この国の高等教育機関には、こうした専門スタッフが(たぶん)必ず配備されています。ただ、フルタイムではなく、パートタイム・スタッフが大半ですが・・ このポリテクニックには200名を超える当事者学生が在籍している、とのことでした。1時間余り話し合いました。さすがに専門スタッフだけあってか、こちらの語学力に合わせて分かり易く話してくれました。元々が語学力のない自分ですが、年々、そのパワーが低下してゆくのを感じます。相手の話を懸命に聴こうとするので、ひどく疲れを覚え、次第に眠くなってきてしまうのです。もっとも、それは暖房のせいかもしれませんが・・ |
◎朝、郵便局へ行き、ハガキと小包を送りました。クレジットカードで支払うことが出来るので、とても便利です。この国の郵政事業は、とうの昔に民営化されているため、郵便局も日本のようなイメージではありません。まるで本屋さんのような感じです。ここもショッピングモールの中にあります。むろん、日曜日もオープンです。このモールは、かつてロトルア駅があったところです。10年前には、すでに閉鎖された駅舎だけが残存していました。その跡地にとても近代的なショッピングモールが造られたのです。ちなみに、現在のロトルア駅は中心街からかなり離れた場所にあります。駅舎なんてものはなく、線路脇がそのまま乗車口ですから、まぁここから汽車に乗るなんて事は、とてもイメージできないと思います。以前、ここからハミルトンまで「お試し乗車」をしてみたことがあります。要するに、この国では移動手段は飛行機か車かバスなのです。汽車は、ほとんど貨物専用なのです。 |
◎ロトルアから寄り道をしながら懐かしのハミルトンへとやって来ました。ワイカト大学構内にある、ボクが住んでいた家もそのままでした。関係の深かったハイスクール内の特別ユニットへも行き、スタッフたちと交わりました。その後、郊外のショッピングセンター内の旅行代理店へ挨拶に行き、再び大学構内の銀行へと戻りました。「もうそろそろニュージーランド銀行の自分の口座を閉じようかなぁ・・」と考えたからです。しかし大学内の支店は既に閉鎖されていました。あ、ら、らっ、といった感じでした。 |
◎やっぱり花粉症のようです。クシャミが出て、目がかゆいです。昨夜のモーテルは柔らかいベッドだったせいか、あまり眠れず、早朝に目が覚めてしまいました。そのため、8時半にはモーテルを後にし、「トカヌイホスピタル」の跡地へと出掛けました。ケンブリッジから50qほどバックします。1999年3月に閉鎖された、このコロニーの建物群はまだそのまま残存していました。このコロニーへは、1993年以来、毎年のように訪問しながら閉鎖のプロセスをモニターしてきたのです。 |
◎スウェーデンでもそうでしたが、ニュージーランドでも日曜日の朝は、いくつかのチャンネルで教会の礼拝が中継されます。それをボヤ〜ッと観ながら(眺めながら)荷物の準備をして、朝8時半にモーテルを出て、約1時間でオークランド国際空港へと戻ってきました。空港近くのガソリンスタンドで満タンにしました。それがルールだからです。これまで空港近くのガソリンスタンドは3つだったのが、4つになっていました。これはいつものことですが、レンタカー会社のスタッフは「ガソリンは満タンにした?」と聞くだけで、調べもせずに「OK!」と明るく答えてオシマイでした。いつだったか、ハミルトン空港で返却した時は無人でした。だから車のキーをポストに入れてきました。ちょうど、休日の図書館へ本を返却するみたいな感じです。結局、今回の走行距離の合計は【2,170q】でした。 |
◎午前10時にチェックアウトして空港へとやって来ました。あと2時間あまりでブリスベンへとフライトです。出国税の22$を払い、出国カードとオーストラリア入国カードを書き込み、パスポートコントロールを通り、待合室のロビーにある6角形のライティング・デスクで、この文章を書いています。スタンドや電源も付いているので、とても便利です。これまでもときどき、このデスクを利用してきました。しばらくホームページの更新作業に励んでいましたが、フト目を上げると、ドヤドヤと20〜30人あまりのちびっ子たちがやって来ました。要するに日本の小学生の集団です。オーストラリアのケアンズでもそうでしたが、こうなると、もう全くの日本国内です。あの子たちは、これからどこへ行くのやら・・ でも、間もなく夏休みが終わるので、たぶん帰国なのでしょうが・・ 時代は国際化へ向け、こうしてドンドンと変化してゆきます。 |
◎9階の禁煙フロアーにある部屋からは、ブリスベン市内が良く見渡せます。昨夜はオークランドからの移動の疲れもあってか、リフォームされた清潔な部屋に、やや堅めの快適なキングサイズ・ベッドで、グッスリと眠ることが出来ました。日本では1万円以上はするホテルが、朝食込みで1泊4,000円ほどですから、かなりお得です。食べ放題の朝食もベリーグッド、ってとこです。これも日本では1,000円程度はします。インターネット予約、様々です。あ、昨夕、ブリスベン空港に着くと、さっそく[G' Day!]の文字にお目にかかりました。「グダイ」と発音します。ついでに、スーツケースを開けるように求められました。何か気になる形をしたものが映ったようです。係員が「時間をとらせてしまって・・」と言うので「義務ですから・・」と応えてあげました。一度は背中に赤色の服を背負ったワンちゃんに「クン、クン・・」でした。このときはフルーツの匂いがしたそうです。かくのごとく、食料品の検査は徹底しています。かつてはニュージーランドに着くと、係官が機内にやって来て、手をクロスして上に向けスプレーをシューッとまいたものでした。なぜか、7〜8年前からそうした光景にもお目にかからなくなりました。 |
◎今日も「歩け、歩け」の一日でした。足が痛くなりました。早く帰ってトレーニングを再開せねば! 前日、約束した時刻にクィーンズランド工科大学(UQT)へ行きましたが、担当スタッフが病気欠勤でどうも無理のようです。あすの予約に変更してもらってホテルへ戻ると、「あすも欠勤で無理」とのメールが入っていました。残念ですが、いたしかたありません。そこで、橋を渡って博物館へと行きました。ゆったりとした展示物で心が和みました。ポカポカ陽気の中、歩き疲れたためか、ソファーで少しウトウトしてしまいました。いかん、もっと緊張をせねば! 日本人の観光客がガイドさん付きで来ていました。いいなぁ、きっとバスかなんかでサ〜ッと移動するんだろうなぁ・・ 個人旅行は自由気ままだけれど、すべて自分一人で処理しなくてはならない分だけ、何かと手間が掛かります。昔はよく、往復チケットとホテルのみがパックされてあるディスカウント・ツアーチケットを利用したものだけれど・・ |
◎朝にカンタス航空のオフィスに行き、8日のフライトチケットと出発時刻の確認をした後に、タクシーで、広大なキャンパス面積を有するクィーンズランド大学へ行きました。1,000円ほどでした。そこで、支援スタッフと40分余り話をしました。良い学びができました。昨年の経験と併せて、次第にこの国のイメージが出来つつあります。ニュージーランドとは、また違うシステムであることを感じます。帰りにはフェリー(CityCat)を使いました。30人ほど乗れるフェリーボートでした。支援センターオフィスから5分ほど歩くとブリスベン川で、そこに「クィーンズランド大学」という船着き場があるのです。要するに、キャンパス内にフェリー乗り場があるのです。30分に一便の割合で出ています。右岸に停泊したり、左岸に停泊したりで、約15分ほどでモール街近くの船着き場へと戻ることが出来ました。とても面白い体験をしました。小型フェリーで通勤や通学なんて、何となくホッとする感じです。ちなみに、フェリー代は250円ほどでした。 |
◎8月最後の今日も、例のごとく「歩け、歩け」で、ビクトリア橋を渡り、1時間あまりで [Southbank Institute of TAFE] へとたどり着き、[Disability Officer]に会いました。ニュージーランドを含めて、すでに10名あまりの支援スタッフに会ってきましたが、初めての男性スタッフでした。[Technical And Further Education=TAFE]と略称されるこの学校は、ニュージーランドのポリテクニックと似たような種別の高等職業専門学校です。やはり知的制約者の学習コースがある、とのことで、担当スタッフを紹介されましたが、残念ながら今日は出勤日ではなかったため、電子メールでアポイントメントをとることにしました。 |
◎朝からサウスバンクへと出掛けました。そのはずれにある海軍博物館へ行き、太平洋戦争で活躍したオーストラリア軍の駆逐艦内部を1時間あまりかけて、ジックリと見学してきました。駆逐艦そのものがドックに展示されてあるのです。その駆逐艦内部にさまざまな展示物があり、その中には日本軍の降伏文書への署名や、その様子を写した写真なども展示されてありました。ちょうど堀栄三著『大本営参謀の情報戦記』(文春文庫)を熱心に読み進めていたため、強い関心を持って駆逐艦内部を見学しました。この本の中にも、著者が情報参謀としてフィリピンにいた当時に、ブリスベンからの飛行ルートを追跡していた、との記載があり、驚きました。戦争は無駄な浪費の代表です。人の命をも浪費させます。そうしたことを改めて思い知らされました。 |
◎昨夜のラグビーは大接戦でした。先週のオールブラックスは余裕で南アフリカに勝ちましたが、今回は終了間際でワラビーに大逆転をされてしまいました。本当に力が均衡しているので、お互いに相手から30点は取れません。終了間際の大逆転で、オーストラリアの観客は大フィーバーでした。観客が10万人弱が入った、と画面に出ていました。 |
◎[クィーンズランド工科大学(QUT)] のスタッフとの面談が午後3時だったので、モール街の地下にある映画館で[Jurssic Park 3] を観ました。90分ほどでした。観客は8人でした。料金は10$でした。ちなみに、この1週間で、1AU$ が62〜70円で動いています。また、両替をする銀行によっても換金率が異なります。必ずしも空港内での両替がベターでもないようです。 |
◎午前中に政府機関である[Disability Services Queensland] へ行き、資料をもらい、情報を得ました。その用件が早く終わったので、コアラ・クルーズへと出掛けました。入園料込みで35$ でした。30名ほどの乗客を乗せてブリスベン川を上り、ピッタリ90分で、ブリスベン川郊外のコアラ保護区(Lone Pink Koala Sanctuary)へと到着です(帰りは逆ルートのため、60分でした)。今日も春の強い陽ざしがギラギラでした。これで夏になると、いったいどれほどのギラギラになるのかしらん? |
◎午前中にタクシーで「オーストラリアン・カソリック大学」へ行きました。その用件が早く終わり、近くのショッピングセンターのフードコートで昼食を食べ、大学近くの鉄道駅(Mitchelton)で市内中心部まで戻る電車が来るのを待っていると、そこにあった案内板に特別学校が掲載されてありました。みると、駅舎(と言っても、ホームの中の待合所に似た、きわめて素朴な駅舎ですが)のすぐそばでした。「これは行かねばなるまいて・・」と即座に思い、暑い陽ざしの中を、例のごとくテクテクが始まりました。 |
◇今日は半日、とても悲惨な出来事の連続でした。[TAFE]のスタッフから、なかなか返事が来ないために、電車に乗ってキャンパスへと出掛けました。6階のスタッフルームへ行こうとすると、リフト(エレベーター)が故障で使えません。ニュージーランドでも、よく見かけた光景でした。そこで[Disability Officer]のところへ行くと、例のごとく「ここには250人ものスタッフがいるので、だれがその担当かは把握できない・・」と申し訳なさそうに答えます。そこで階段をエッチラと上り始めました。6階のスタッフルームへ行くと、50名以上のデスクがあると思われる部屋が閑散としています。受付のブラジル人の女性もいません。階段を上るのが辛いスタッフたちは、きっとどこかに散ってしまっているのだろうと思われます。しかたなく、再び電車に乗ってロマストリート駅まで戻ってきました。 |
◎ブリスベン最後の日です。「ちあき なおみ」のCDを聴きながら、この文章を綴っています。いつものように朝5時半頃に目が覚めたのですが、「NHKのニュースはもういいや・・」と思い、そのまま6時半まで眠りました。7時過ぎにいつものように朝食を食べ、朝の8時50分頃にロマストリート駅へ行き、ゴールドコースト(Robina)までの往復チケットを買おうとしました。するとチケット売り場のオジサンが「あと10分待てばチケットが安くなるけれど、どうする?」と聞きました。当然のことながら待ちました。その結果、8$ほど安い値段で往復のオフピーク・チケットが買えました。面白いシステムだこと! クライストチャーチでも、市内バスは4時間以内で戻れば、帰りは無料でしたし・・ |
☆朝4時半に起き、インターネットで台風情報(15号&16号)をチェックし、何とか大丈夫そうだとホッとして、6時に12泊した[Goodearth Hotel]をチェックアウトし、前日に予約してあったタクシーに乗ってブリスベン空港(国内線)へと向かいました。ドライバーはパキスタン人でした。「いつこの国に来たの?」「5年前・・」「どうしてこの国へ来たの?」「母国の政情が不安定で、良い仕事も得られないから・・」と、強い訛りのある英語で答えてくれました。 |
※以下の文章は、2001年8月13日〜9月8日までの間、私がニュージーランド(北島)とオーストラリア(ブリスベン)を調査訪問していた際に、社会人編入による入学で私のゼミに加わってくださった人が、9月初旬にニュージーランド(クライストチャーチ市)を急遽、訪問することになり、そのためのアドヴァイスを求める電子メールを現地へ送信してこられました。そこで、その質問に私が現地から返信した内容の大半を載録してみたものです。そこで、「この時期にニュージーランドやクライストチャーチ市を訪問される人に参考になるのでは?」と考え、その内容の一部を公開してみたものです。なお、今回の公開にあたっては、不必要な部分を削除したり、多少の修正を加えています。ちなみに、レンタカーを使って各地のモーテルを転々としながらのニュージーランド滞在中、私はノートパソコンを持参し、「ローミングサービス」を利用しながらネット接続をしていました。 |
☆さて、日記にも書きましたが、ローミングサービスの設定も、ほぼ順調で、接続がスムーズになりました。ただ、日々、モーテルが変わるため、地域設定と電話回線の調子によって、状態が一定しません。今夜はどうか、については自信がないので、今朝(午前6時前ですが)この文章を書いています。なお、当地は3時間進んでいます。間もなく、チェックアウトしてスタートです。今日はギズボーンまで海岸線を走る予定です。 ◎ニュージーランド英語は「キーゥイ・イングリッシュ」です。「エイ」が「アイ」になります。その他は、イギリス英語と同じです。その程度です。ボクのような片言の英語力でも何とか生きてゆけるようなお国柄ですので、何も心配することはありません。それに親日家が多いし・・ とにかく、肩の凝らない国です。そのことは、すぐに分かるはずです。 ◎食料品の持ち込みに関しては、年々、チェックが厳しくなりつつあるのを感じます。最近では麻薬犬も出現しました。オーストラリアは、もっと厳しいです。したがって、食べ物は一切、持ち込まない方が賢明です。申告しなくても済みますから・・ こっそり持ち込んで、申告しなくても、係官の気まぐれで「一応、スーツケースを開けてください・・」となると、けっこう面倒で、時間が掛かります。だから、お土産には食べ物は厳禁です。CHC(クライストチャーチ)は日本人がゴチャゴチャいるような場所ですから、日本食は不自由しません。特に、大聖堂付近は、まるで「リトル・ジャパン」の様相を呈しています。 ◎ボクの場合は、人に会うことが多いため、いつも関空で「絵はがき」を大量に買っていきます。それも、着物を着た昔の女の子の・・ 関空にはこうしたショップが多くありますので、関空で探しても良いと思いますよ。この国の人たちは贅沢品には慣れていなくて、手作り物を喜ぶみたいです。ですから、心のこもった手作り品がベストだろうと思います。ただ、これもホストファミリーによります。特に、CHCの場合は、いわば「日本人慣れ」の状態ですので、これまで数多くの日本人と接してきたような家庭では、あまり感動されないかもしれません。とにかく、CHCは、あまり外国、といった気がしないのではないかと思います。それほどまで、どこへ行っても日本人を見かけるからです。 ◎ニュージーランドに来て、ボクは風邪を引きました。CHCの場合は、9月でも、朝夕はかなり寒いので、厚手のセーター類は必需品です。手袋等はこちらでも安く買えますが、セーターは高いです。要するに、朝には車のフロントガラスが凍っているような状態です。でも日中は春先のような暖かさになります。要するに寒暖の差が激しいのです。暖房も弱いので、厚着が必要です。つまりは、原発を持たないこの国では、エネルギーは貴重なのです。だから食器類も、水洗いを省略して、洗剤につけた状態で、そのまま拭いてしまうのだとうと思います。きっと驚くと思いますが・・ ◇それでは、あと30分ほどでスタートですので、これで失礼します。 |
※ご質問にご返答します。 「食料品は、何も持っていく予定はないのですが、「常備薬」はどうでしょう? 胃薬やビタミン剤をいつも愛用しているのですが、難しいでしょうか?」 ※もちろんこれらはOKです。でも、念のために未開封状態の方が良いと思います。チェックされた時に説明が容易だからです。開封状態だと、何か他のものを混入したのでは? と疑われてしまう場合を想定してです。ニュージーランドへの入国の際には「入国カード」への記載が必要ですが、食料品のところにヘタにチェックマークをつけたりすると「それでは荷物を開けて、それを出してください!」となります。ボクもクロレラやアロエや、その他もろもろのサプリメント類を持参していますが、これらは食料品ではありませんので、申告しない方が無難です。これまで、自分で申告した場合を除いて、一度も「それでは・・」と言われたことはありません。滞在目的を聞かれたら「ホリデイを利用してホームステイをする」と答えれば良いのです。 ※荷物に関しては、若干の配慮が必要です。それは日本のように、出口で空港係員が荷物の番号を照合して手渡す、といった方式ではないからです。各自が取ったスーツケースは、たとえ間違えても、あるいは黙って盗んだとしても、だれもチェックしません。そのまま出られます。だから判別を容易にするために、ケースに巻き付けるベルトの色を目立つ色にするとかの工夫が必要です。ボクはシルバーのケースにピンク色のベルトを巻き付けていますから、とても目立ちます。すぐ分かります。そして早めに荷物が出てくる近くのベルトコンベアの前に立って自分の荷物を探すことです。特に、乗り継ぎ便を利用する場合は、カウンターで自分の預けた荷物の特徴を伝えておくことです。そのデータはコンピュータに入力され、ちゃんと乗り継ぎ便に運び込まれたかどうかを確認してくれます。今回、ボクはシドニーに朝に着いて、夕方にオークランドへ出発する便だったため、カウンターでちゃんと確認してくれました。むろん、直行便の場合は問題ありません。 ※せっかくCHCまで来るのですから、ぜひとも[Disability Information Service]を訪れて、情報を得てください。ボクはそこに会費を払っているのですゾ! もっとも、一年分を滞納しているけれど・・ そのオフィスは大聖堂からタクシーで5分くらいのところにあります。そこで、できれば[IHC]を紹介してもらってオフィスを訪問すると良いと思います。そして、いくつかのGH(グループホーム)を見学されると良いのでは、と思います。それも、できれば子ども、成人、高齢者用、それぞれのGHを・・ CHCには合計で50箇所以上のGHがあると思います。たいていの場合はIHCのスタッフが車で案内してくれます。予約せず、飛び込みで訪問した場合は無理なことが多いです。もちろん、電話帳を調べて、IHCにご自分で電話をして予約を取り、訪問しても同じです。 ※CHCの場合、移動手段はタクシーが便利です。バスは分かりにくいです。音声案内などは流れませんし・・ その点、タクシーは日本よりは安いです。CHCは人工的に整備された街なので、街のつくりが、いわゆる「碁盤の目」状態になっていますから、行き先の住所を示せば確実に連れて行ってくれます。ただ、タクシーは「タクシースタンド」で乗る必要があります。いわゆる「流し」はありません。タクシースタンドはデパートやスーパーの前だとか、大聖堂の前にあります。もちろん、施設等へ行き、用事を済ませるとそこへ迎えに来てもらうこともできます。この国ではタクシーは、かなり便利です。特に市内では一方通行が多いCHCの場合は・・ ※大聖堂と言えば、大聖堂で毎日、夕方に30分間程度開催される少年&壮年混合聖歌隊のコンサートは、とても素晴らしいものです。ボクは毎日のように夕方に聴きに通ったものです。たぶん、5時半頃からだったと思うけれど・・ 曜日によって時間帯や内容も異なります。CHCの場合は、この大聖堂が常にポイントとなります。位置判定などもそこを起点とするからです。 ※時間があれば、車で2時間半ほどのところにある「テカポ湖」へ行けると良いですね。もうウットリするほどの美しい湖です。それでは、また何かありましたら、ご連絡下さい。あ、機内や家庭内ででくつろぐためのスリッパをお忘れなく! 土足文化は慣れないと、なかなかに面倒です。ついでの、ついでですが・・ この国には「トイレカバー」は存在しません。今まで一度としてお目に掛かったことがありません。[U字]ではなく、[O 字型]のトイレです。この国で生活していたときに、借りていた家のトイレカバーをみて「日本人は賢い!」と、いたく感動されてしまったことがありました。もちろん、日本から送った物でしたが・・ これって、もしかしたら、かなり喜ばれるかも! |
☆今夕、オーストラリアのブリスベンに入りました。ただ、滞在先のホテルからインターネットへの接続作業が困難を極めており、安定したアクセスポイントやラインを確保するまで、しばらくの時間が必要です。去年もそうでしたので・・ > そちらの気候は、春に近づきつつありますか? ※過日、申し上げたように、CHCでは厚手のセーターは必需品です。朝夕が特に冷え込みます。○○地域の2月頃の気候です。但し、日中は温度が上がります。半袖の人たちもいます。要するに、一日の中で寒暖の差が、かなり激しいのです。昨日もニュースでCHCが映っていましたが、吐く息も白く、またジャンパーやコートを着ている人たちが多く映っていました。ボク自身も、数年前に「テカポ湖」へ行った帰りに激しい降雪に見舞われました。8月25日頃だったと思います。アップダウンの道が続くので、スリップをしないように、慎重に運転しました。なお、テカポ湖へは大聖堂(通常は「スクウェア」と言いますが)の前からバスツアーも出ています。そこがちょうど、バスターミナルになっているのです。2年前には、日本旅行の代理店もありました。往復5時間の道のりは、なかなか大変で、ホストファミリーにお願いするのは、ちょっとどうか、とは個人的レベルでは思います。バスツアーを利用されることをお勧めします。 > すみません。そちらから日本に連絡するのには、問題はないでしょうか? 海外用携帯電話のレンタルの検討をしているのですが、必要ないでしょうか? ※一般家庭からも、ごく普通に日本への直通電話が可能です。また、日本と同じように公衆電話もあります。多くがプラスチックのカード式です。但し、カードはどこでも買えないので、空港で買っておかれると良いと思います。中には通常のクレジットカードが使用できる電話ボックスもあります。観光地化されているCHC市街では、大抵の電話ボックスでクレジットカードでも電話がかけられると思います。ちなみに、電話をかける場合は、滋賀県高島郡の場合は(市外局番の「0」を取って)[0081-740-○○-○○○○]となります。だからとても簡単です。国内にかけているのと大差ないほどにスムーズに会話が出来ます。また、携帯に関しては、ボク自身は使ったことはないのですが、オークランド空港でレンタルサービスをしていました。ですから、おそらくはCHCでも、空港内に同じようなレンタルサービスがあるのではないでしょうか。最近では、日本から持ってゆく人も多いみたいですが・・ この件は詳しくありません。 ※大聖堂からストレートに歩いて10〜15分くらいで「CHC博物館」に突き当たります。その裏手が広大な植物園です。エイボン川も美しく流れています。ここは必見です。マオリの文化にじっくりと触れてみてください。ニュージーランドがいかに先住民族の文化を尊重しているのかが良く分かりますから・・ これは、オークランドでも、ウェリントンでも同じですが・・ それと、週末にはその周辺でマーケットが開かれます(昔、そこにカンタベリー大学があった場所です。そこにボクがいつも泊まっているYMCAがあるのです。だから、毎日のように植物園を歩きました。とてもにぎやかです)。これも必見です。ですから、土曜日には大聖堂から歩いてみられると良いと思います。路面電車も走っていますが、歩いてもすぐですので・・ ※それでは、重ねて何かありましたら、遠慮なくお問い合わせ下さい。 |
※オーストラリア(ブリスベン)に来て以来、滞在しているホテルからの接続が「一進一退」状態で、安定した送受信ができません。したがって、このメールもスパッと一度で送れるのかどうか分かりません。たまたま、うまく接続できた時にこのメールを開いたのです。ボクはマイペースでノンビリと過ごしています。日本にいる時よりも、はるかにリラックスできます。人間関係が下手なボクには、日本は不向きなのかもしれません。ニュージーランドはいいですよ! さて、ご質問にお答えします。 > やっぱり初めての海外は、喜びと同じくらい緊張感はいっぱいです。 ※そうでしたか、初めての海外でしたか・・ 意外でした! ボクはまたなんで急にホームステイ・スタイルでニュージーランドへ出掛けるのかなぁ? と疑問でしたが・・ > 今日も「トラベラーズチェック」を買いに銀行へ行ったのですが、出来ません。 ※ボクは「○○銀行」で作ってもらいました。30万円分でした。別に必要は無かったのでしたが、あるとき、発行手数料が0.5%だったときがあったのです。通常は1%だと思いますが・・ だから一度も使ったことがありません。あくまでも現金の予備として持っているだけです。 > ニュージーランドドルは、空港で換金して持って行かれていますか? ※日本国内の銀行(例えば関空内にある銀行)で換金すると、きわめて不利です。ですから止めた方が賢明です。だいいち、ニュージーランドに着くまでは不要ですし・・ CHCに着き、パスポートコントロールを出ると、「両替所」があります。すぐに分かります。そこでの換金率がベストです。でも、ニュージーランドの場合は、市内銀行でもほとんど変わりません。ニュージーランドの場合、手数料も、他国に較べて、きわめて低額です。日本円は広く通用していますので、どの銀行でも即座にNZ$に換金してくれます。なお、その際にパスポート提示を求められることがあります。ただ、多めに換金してしまい、出国する際にCHCの空港内で、残りのお金を再び換金すると、やはり不利ですので、当面、使用する程度の額を換金するのが賢明です。ましてや、帰国して関空内の銀行で換金すると、もっと不利です。使い切るのがベストです。残りの小銭程度は、空港内のショップで、絵葉書でも買い物をすれば良いのですから・・ ちなみに、ボクは今回の滞在で、一度も日本円からNZ$へ換金しませんでした。それは、昨年のNZ$が、まだかなり残っていたからでした。それを持っていったのです。それでもなお、今回も残りました。これはまた来年、使います。 > 現金を持ち運ぶのは、避けた方がいいと思うのですが・・ ※10日程度の旅ですので、そんな高額を持ってゆかれないと思いますので、心配する必要はありません。国内旅行と同じ感覚で大丈夫です。ボクの場合は、この前、ケンブリッジのスタッフから「カンガルーポケット」と言われてしまったのですが、腰に着用する「ポシェット」と言うのでしょうか、いつもそれを使っています。そこにパスポートや現金やカード等を入れて持ち歩いています。この程度であれば、別に分厚くもならないし、重くもなりません。但し、旅行者に良く見かけるのですが、作りが分厚いものだと目立ちます。ボクのは布製で薄くて軽いポシェットです。かなり便利で、重宝しています。 > VISAカードは持参するつもりですが。 ※この国では、日本以上に「カード社会」です。スーパーでの買い物等にも、ごく普通に使います。以前は小切手でしたので、まぁ、レジでも延々と時間がかかったものです。一人あたり5分はかかりましたから・・ 最初は信じられない光景でした。それが今ではカードになったため、かなりスムーズになりました。それでも日本のレジよりは数倍時間がかかります。決して誇張ではありません。いちど体験してみられると面白いかもしれません! 要するに、ニュージーランドでは日常の買い物等でも、ごく普通にカードを使います。カードがなければレンタカーも借りられません。カードが身分証明書代わりともなります。ですから、もちろん[VISA]カードが1枚あれば、ほとんど全ての買い物等に利用可能です。現金代わりと同じ、と考えても、決して過言ではありません。後日、買った時のレートでカード会社から請求されます。日本での買い物と同じです。この請求書をみていると、日々、レートが変動しているのがみれて、とても面白いですよ! ※重ねて何かあれば、遠慮なくお問い合わせください。あ、日焼け止めのクリームと、紫外線防止のサングラスも必要です。夕方の強烈な紫外線を経験してみてください。フロンガスによる環境破壊の恐ろしさが良く理解できます。ちょうど、南極の上がポッカリと空いているのです。この件に関して、日本は、かなりの「加害者」です。いっぽう、ニュージーランドは「被害者」です。 |
☆メールを受け取りました。今、NHKの前夜の7時のニュースを見終わったところです(ブリスベンでは、朝5時半から前夜のNHKニュースが放映されています)。ニュージーランドでは放映されていません。 > そちらは水が貴重なんですね。 > 洗濯物をしないで済むように多めに着替えは必要でしょうね。 ※ニュージーランドで「食器洗いの際のすすぎをしない」と言うのは、長年の「慣習」です。自然に恵まれた国ですから水は豊富です。原発を持たないため、相変わらず電力は貴重ですが・・ ですから、別に着替えを多めに持ってゆく必要などありません。どんどん洗濯をすれば良いのですから・・ 但し、家庭によって、乾燥機があるかどうかは定かではありませんが・・ ちなみに、食器洗い乾燥機は、ほとんどの家庭にあります。それは、この国では食事の後かたづけが男性の役割だからです。きっと楽をしようと考えて、必死に導入したせいだと思っていますが・・ それでは、良き旅を! |
☆いよいよ出発ですね! 出発の前にお読みいただけると幸いです。なお、返信は不要です。 ◎関空でのチェックインは、出発時刻の3時間ほど前からです。その際に座席をとります。今は全席禁煙となりましたので、とても快適です。もっとも、何かツアーのようなスタイルで行かれるのであれば、座席の確保は誰かが代行してくれるのでしょうが・・ その際に、ボクはいつも「アイルシート」を取ります。要するに通路側です。理由は、トイレに行きやすいのと、動きやすいからです。もっとも、これは好きずきのレベルです。この前、オークランドからブリスベンに飛んできたときに、カンタス航空の機内画面で、いわゆる「エコノミー症候群」への注意をやっていました。ときどきは屈伸運動をしたり、機内を動いたりしましょう、といった注意です。どういったルートで行かれるのか知りませんが、オークランドまでは、直行便でも11時間程度はかかりますので、適度の運動は必要です。特に夜間便の場合は・・ ボクはいつもスリッパを履き、スイミング用の耳栓をします。それから、機内でのアルコールは注意が必要です。あるとき、ワインを飲んだら途端に気分が悪くなってしまいました。もともとが、あまり飲めない方なのに、ニュージーランドに行ける、と思っただけでウキウキして、つい手を出してしまったのが敗因です。あ、ちなみにこれは気圧との関係です。酔いやすくなるのだそうです。 ◎京都から「はるか」で関空へ行かれるのが簡便ですが、今の時期は「自由席」でもガラガラだと思います。改札口を出て、左手が出国カウンター方面ですが、時間にゆとりがあれば右手に行かれてみると良いと思います。薬屋さんや本屋さんなどがあります。もちろん、これは出国ゲート方面にもありますが・・ 日本はスグレモノの国で、大抵のものがここで買えます。たぶん出国税が世界一高い関空ですが、しかたありませんので、出国ゲート近くの自動販売機で出国税カードを買います。出発1時間前くらいにはゲートに入ると良いと思います。そしてパスポートコントロールを通り、無人の電車に1分間ほど乗って、指定された搭乗口まで行きます。この7月から出国カードに記入しなくてもよくなったので、とても簡便になりました。それから、帰国したら宅配便のコーナーがありますので、そこでスーツケースを預けると、翌日には自宅へ届きます。2,000円くらいだったと思います。それで、手ぶらで帰れます。 ◎クライストチャーチ(CHC)に到着したら、最初にパスポートコントロール(入国審査)を受けます。その際に、機内で書いた入国審査カードを提出します。帰国便のチケット提示を求められる場合もあります。それで、ポンと3ヶ月滞在許可のスタンプを押してくれてオシマイです。これはほんとに簡単です。その後、便名の指定された荷物受け取りコーナー(Luggage Counter)でスーツケースを自分で取ります。誰も番号札と照合しませんので、くれぐれも間違わないように! そして、機内で書いた申告書を手に、もしも申告すべき物がなければ [Nothing Declare] の方へ行きます。ここで、ときたま「それでは開けてみてください・・」となるのです。今回、ボクもブリスベン空港で何かX線に気になる陰が出たらしくて開けました。それから、日本へ戻る際には、やはり出国税が必要です。22$だったと思います。これも出発ゲート近くの窓口で支払います。そのシールを搭乗券の裏側に貼ってくれます。 ◎空港からどうやってホームステイ先に行かれるのか分かりませんが、市内中心部までは車で15分くらいです。一本道で、とても分かり易いです。ボクはいつもそこからレンタカーで行くか、タクシーで行きます。レンタカーを借りていなかった場合は、帰りはYMCAのすぐ近くから空港バスが出ているので、それに乗ります。これも大聖堂がスタートです。そして週末には博物館付近のマーケットを散策し、ビクトリア・スクウェアにあるタウンホールでコンサートに行くのが常でした。毎週のようにステキなコンサートが開催されるからです。平日は、大聖堂のクワイアを聴きに行きます。その周辺には大橋巨泉氏の「OKギフトショップ」等の土産物屋さんが並んでいます。日本食レストランやラーメン屋などもあります。ボクはホームステイはしたことがないので分かりませんが、せっかくの限られた時間ですから、積極的に出歩かれると良いのでは、と思います。大聖堂に戻れば、必ずタクシーに乗れますから、滞在先にも容易に戻れます。あ、大聖堂から博物館までの道の途中に観光案内所があります。ちょうど、橋のたもとです。そこからエイボン川のパント(船遊び)にも乗れます。博物館近くの場所(クライストチャーチ病院そば)からは、自分で借りてボートに乗ることも出来ます。ただ、寒いのと、川ですから上流に向かう場合は力が必要です。 ◇まぁ、ともあれ、「何ごと体験」の精神で楽しく過ごして来てください。必ずまた行きたくなる筈ですから! |