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2022.4.15 受難週祈祷会・証

 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」・・こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。(ヨハネによる福音書 第11章25・26、43・44節 新共同訳)

受難週祈祷会・証(動画)

◇今から30数年前のことです。今は亡き母親が私に向かって、「神さんって、ほんとにいるんだね!」そうポッリと言ったことがありました。「アンタを見ていると、そう思う・・」そう言うのです。これは私を褒める言葉ではなく、「あれほど親に心配をかけ続け、親を泣かせ続けてきた息子が、こうして何とか生きているだけでも奇蹟だ!」そう思ったからに違いないのです。

◇私は北海道のオホーツク海沿岸部の小さな田舎町で生育しました。学習塾もないような、のどかな田舎町でした。そして当時の子どもたちの多くがそうであったように、私もまた、夏は野球に明け暮れ、冬はスキーやスケートに明け暮れる日々を過ごしました。

◇私の母親は役場職員であった父親と結婚するのと同時に、4人の子持ちになりました。父親の両親が早くに死んだために、長男であった父親がまだ幼かった4人の弟や妹たち(つまりは私の叔父や叔母たちですが)を自分の養子にして育てていたからでした。そうした状態の父の元に嫁いだのでした。その後、8人の子どもを産んだため、合計で12人の子どもたちを育てたことになります。その中で私は一番下の子どもでした。そんな私は両親からの愛情をいっぱい注がれて育ちました。

◇大自然に囲まれた北海道で、のびのびと育った私でしたが、高校へ入るや否や過敏性大腸群症を引き起こし、その結果、心身のバランスが乱れてしまい、次第にセルフ・イメージが健全に保てなくなってしまいました。とにかく学校に行くことが苦痛以外のなにものでもなく、自分の部屋に引きこもるような日々が続きました。ようやくの思いで学校へ行ったとしても勉強どころではありませんでした。それでも何とか学校へ行こうとするのですが、ついにめげてしまい、よく校門の前で「回れ右」をしてしまったものでした。校門の前から戻って来る私の姿を見て、登校してくる他の生徒たちは不思議そうな顔をしたものです。惨めな自分がそこにいました。当時は学校へはあまり行かず、空を流れる雲を、ただ眺めていることがよくあったのです。おそらくは、その頃から人が生きることの意味を深く考えだしたのでしょう。じっさい、よく卒業ができたと思えるほどに高校には行かなかったのです。そのまま家に戻っても親が心配すると思い、途中で母親が作ってくれたお弁当を食べてから帰宅したこともありました。孤独な自分がそこにいました。

◇そうなってくると自分に対する周囲の視線が次第に厳しくなってきます。「根気がない!」「さぼっている!」「みんな学校に行っているのに、なぜお前だけが行けないのだ!」などと言われて辛い日々でした。また何よりも自分自身に対する不満への鬱積(うっせき)から、家にあった電化製品や家具類を壊し、家中のカーテンをハサミでズタズタに切り裂いてしまったことも一度ではありませんでした。思い返すのも辛い過去です。否、それ以上に、老いた両親は日々、どんなにか悲しい思いだったことでしょう。

◇あるときは思いあまった母親から、「アンタは、もう死んだものと思っている。・・」とまで涙声で言われたことさえもあります。「かぁさん、どうしてボクを産んだの?」と母親に問いかけて、「アンタ、自分が産んだ子どもからそんなことを言われたら、親がどんなに辛いか分かるかい?」と泣かれたりもしました。こうして何度も心優しき母親を泣かせ続けました。そんな荒(すさ)みきった自分でした。

◇そんな自分でしたが、何とかしたいと考え、2年生の途中で高校を転校したりしましたが、やはりダメでした。まことに苦しい日々が続きました。しかし、これではいけないと思い直し、自分を鍛えるためにスポーツ健康科学系の大学に進学することにしました。不登校状態が顕著だった自分にとって、スポーツ健康科学系の学びや、肉体を鍛えることによって内面の弱さを鍛えようと思ったからです。その当時、その大学は男子だけでした。また現在も続いていますが、1年生は全員が寮生活を体験するような制度でした。そのため自分を鍛えるためには最適であると思い、その大学しか受験をしなかったのです。落ちたときのことはまったく考えませんでした。幸い、なんとか合格することができました。

◇大学に入り、関心の高い学びであったこともあり、それまでの学習の遅れを取り戻すべく熱心に勉学に励みました。そうしてやがて自信を取り戻すと、次第に高慢な気持ちになり、ひたすら自分のみを頼る生き方になってゆきました。しかし肉体を鍛えれば、心も鍛えることができると単純に考えていた筈が、当たり前のことですがそうではないことを知り、再び絶望の暗き淵にはまり込んでしまったのです。

◇そんなある日のことでした。ふと気づくと、大学の寮のすぐそばにホーリネス系のキリスト教会があることに思いが至りました。3年間、まるで気づきませんでした。そこでその教会に通うようになり、熱心に聖書を読み、お話を聴き、祈ると、神さまからのお言葉が、まるで砂地が水を吸い込むがごとくに垂直に私の心の内に入ってきました。そのため、その数ヵ月後には洗礼を受けることを願い出たのでした。私の弱さを贖(あがな)うためにイエス・キリストというお方が十字架上で身代わりとなって死んで下さったことや、弱さを内包した、ありのままの自分でも神さまに愛されていることを知ったからです。ことさらに自分自身を誇ったり、逆に必要以上に自分の弱さを責め、傷つけ、苦しむことはないのだということを知ったのです。イザヤ書43章4節に示されている『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』との御言葉は私を深い安堵感で満たしました。

◇私は自分の誕生日(4月25日)に洗礼を受けることを願い、その日が平日であったため、洗礼式は私と牧師先生の二人きりでした。そして牧師先生のオートバイの後ろに乗せられて東京の江戸川放水路まで行きました。当時の江戸川はヘドロに汚れていました。その汚れた水をオートバイのヘルメットに満たし、「父と、子と、聖霊との御名によって洗礼を授ける、ア〜メン!」と三度頭にかけられたのでした。しかしこの汚れた水(泥水)が、これまでの自分の弱さを洗い流してくれた「聖なる清き水」であったことを思うと感謝でいっぱいでした。

◇さて、本日、示された聖書の箇所は「ラザロの復活(よみがえり)」と称されている奇蹟の記事です。ヨハネによる福音書・第11章には次のように書かれています。抜粋しながら読ませていただきます。

 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」・・こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。(ヨハネによる福音書 第11章25・26、43・44節 新共同訳)

◇このラザロのよみがえりの記事は、まさに私自身のことでもありました。なぜなら、すさみきったわが子を見て、私の両親は、「この子はもう自分の子どもとは思わない。死んだ者だと思っている!」とまで考え、涙を流しながら、そう私に告げたこともあったからです。当時の私は、愛情あふれた両親や周囲の人びとを嘆かせるだけの存在だったからです。まさに、[ヨハネによる福音書の11章39節]に書かれてあるように「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」といった絶望的な状態だったのです。そうした私に向かって、[35節]に書かれてあるように、主イエス様は「涙を流され」、[40節]で「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか。」とおっしゃったのです。

◇こうしたすさみきった私が、暗きトンネルを抜け出ることができたのは何だったのでしょうか? 私自身が何か厳しい修行をしたり、善きことを積み重ねたからでしょうか? そうではなく、聖書の真理に触れ、主イエス・キリストを私の個人的な救い主と信じただけなのです。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」との主イエス様からの問い掛けに「はい、信じます!」と応答したに過ぎないのです。

◇あのカルバリ山の十字架上で、荊(いばら)の冠をかぶせられ、釘打たれ、血を流されながらも、「父よ彼らをお許しください。彼らは何をしているのか分からないのです!」との、愛と赦しのメッセージを語られ、三日後に墓の中から蘇られた主イエス様の復活の奇蹟を、まるごと信じただけなのです。その結果、闇の中をさまようかのごとき暗き人生の淵から、このラザロのように私自身をもよみがえらせて下さったのです。それから50年が経とうとしています。この間、肢体不自由児養護学校での働きを経て、大学院で学びを重ね、30数年間にわたり、各地の大学の福祉系・子ども系学科の教員として働かせていただいてきました。そして現在も、学校ソーシャルワーカーとして、困難さを抱えている子どもたちや、その保護者への寄り添い支援活動をさせていただいています。そうした寄り添いのまなざしは何よりも両親から学んだのです。そのことを心から感謝しています。

◇これで受難週の証を終わらせていただきます。続いて短く祈ります。

 愛なる神さま。私たちは主イエス様の十字架の愛を知る前は、ラザロのごとき存在であったかもしれません。しかし主イエスさまからの「ラザロよ、出てきなさい」の招きのお言葉を信じるとき、ありのままの自分が愛されていることを知り、祝福の歩みをなすことができることの幸いを感謝します。この教会に集う、すべての人びとが、祝福と喜びに満ちた、良き歩みを重ねることができますように、お支えください。この祈りを私たちの唯一の救い主である、尊き主イエス・キリストのお名前によって希望をもってお祈りいたします。